眞久寺の歴史

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眞久寺の歴史年表

文久3年(1863) 久志卓動和尚が福井市川上町持宝院の第72世住職となる。
明治25年(1892) 久志卓動和尚が、総本山より「北海道常在布教師」に任命され北海道へ渡り、当時の上川郡旭川村(現旭川市)2条通9丁目に眞久寺の前身となる「新義本山根来別院」を建立。

旭川村の区画整理は明治24年より行われましたが、卓動和尚はその計画図に寺院予定地が無いことを知り、時の北海道庁長官の北垣国道氏に「人心の安定」のためには必要であることを訴えに、北海道庁まで何度も出向きました。

北垣長官もその必要性を認め、旭川村に寺院用地として5町歩の無償交付を決定しました。そのうち、5条通4丁目を眞久寺の境内地とし、他の用地は他宗派の寺院に無償で分与しました。

その内訳は、5条通3丁目は浄土宗善光寺・5丁目は曹洞宗大休寺・6丁目は浄土真宗本願寺派慶誠寺・7丁目は日蓮宗法華寺でしたが、慶誠寺と法華寺は早い時期に転出しました。
明治40年(1907) 寺号を「成田山眞久寺」とする。
大正12年(1923) 本堂を建立する。
大正14年(1925) 六角堂を建立する。
大正15年(1926) 眞久寺開山久志卓動和尚遷化。(享年71)
眞久寺第二世久志隆象和尚就任。
昭和26年(1951) 仁王門・仁王像建立
昭和35年(1960) 心なき者の放火により、本堂が焼失する。
昭和38年(1963) 本堂再建。
昭和41年(1966) 眞久寺第二世久志隆象和尚遷化。(享年74)
昭和42年(1967) 眞久寺第三世久志卓世和尚就任。
平成3年(1991) 開基100周年を迎える。
霊堂(納骨堂)再建。
平成8年(1996) 現在の本堂を建立する。
平成18年(2006) 北海道八十八箇所霊場開創。眞久寺本堂が第一番札所・六角堂が第二番札所となる。